副会長の報告書

日本キューティクル協会副会長のブログ

家にいるとだめになる

急に動く元気がなくなる
どうも副会長です


おれは、家にいると有益なこと何にもしない
だめになる
せめてもの抵抗としてブログ書く
思考をまとめる


アドバイス
求めてる人いるけど、いざアドバイスしても全然聞いてないときある
いろんな人に結構ある現象
途中で気付いたけど、自分に都合のいい話しか聞こうとしない
自分に優しくて傷つかないものしか聞きたくないんだ
きっとおれもそういうとこあるだろうし気をつけよう
人さまの意見ってすごく貴重だなと思うけどねおれは
まあ、その「人さま」と「意見のベクトル」によるけど
ってことはアドバイスする人に、おれは評価されてないってことか
うえ


作曲
最近作曲熱がちょっと出てきた
なんでだろ
この作曲熱とは別なんだけど、
「ミニオレ」がたまった時、作曲しようってなる
例えば失恋したときね
例えばだよ、例えば
どうしようもない感情を何かに吐きだしたかったり、何かにぶつけたかったりする
だから失恋の曲は多いのだと思う
こんなにミニオレが一気にたまることは中々ない
やっぱり辛いこととか悲しいこととか、そういう系の感情が創作に向かうのでは
だから「幸せで幸せでしょうがないんです」って曲はあんまりないんじゃないかと思う

職業作曲家とか職業作詞家とかは全く別の話だけどね
アニソンとかはそういう人たちの作る音楽だし
おれが議題にしてるのは、
シンガーソングライター
バンド
とか、自分で作詞作曲してる人たち


就活
実はこの土曜日に最終面接がある
ここ通過するといよいよ内定ですよ
まあ内定頂いたらまた詳しく書きましょう
就活の進捗具合は隠してました
このブログだけではなくて、学校の友達とかにも
まあ隠してるというか、聞かれないと話さない
内定出たらみんなに言おうかなと
途中経過はあんまり知られたくないんですよね
なんでだろ
落ちたのばれるとかっこ悪いからかな
途中経過ブログに書いてもしょうがないよなーとも思うし
おれの活動記録じゃなくて、おれの思考をアウトプットする場にしてるから

最終面接までそわそわして他ごとに中々手がつかない
早く土曜にならんかな


情報リテラシー
リテラシーは識字という意味だとさ
中々上手い表現だなと思う
この重要性を、此度の地震以降すげえ感じた
おれは生まれた時からテレビがあって、
ニュースの言うことは、全て真実だと思っていた
まあ誤報とかのヒューマンエラーはあるとして、基本的には真実だと
実際、今でも真実だと思う
でも10ある真実の内、全てを伝えているわけではなく
もしかしたら1しか伝えてないかもしれないと思うようになった
まあ、当たり前と言えば当たり前のことなんだけど
テレビ局とかの都合の悪いことは、9に含まれる
だから報道しない
別に情報をねつ造して、嘘の報道をしてるわけじゃないんだけど、全てを報道してるわけではない
おれはジャーナリズムというものを無意識に信じていた
でもそれが、今回の報道で崩壊した
テレビ局も、新聞社も、営利団体であることを改めて知った
そりゃそうだ、例え10の真実を報道するにも金いるし
上記のアドバイスにも当てはまるけど、受け手が望まない情報を提供しても金にならない
金がないと1の真実も報道できない
ジャーナリズムもくそもねえなくっそ
基本的に嘘は言ってないから、間違った存在とも言えないけども
マスメディアが、お金がないと成り立たない以上、完璧なジャーナリズムは実現できないと思った
報道に対して、思考停止してたみたい
気付けてよかった

そこでネットメディアの登場ですよ
ユーザーが情報を提供し合うことで、非営利的に10に近い真実を得ることができる
でも、情報を整理する存在がないから(お金の要らないメディアでないといけないから)情報があふれかえる
お金がいらないと言うか、他人の意志が介在しない、純粋な情報って感じ
例えボランティアでマスメディアを請け負う存在がいても、その人の意思が反映されてしまう可能性がある
その”意思”がある程度わかっていると、利用できると思うけど
例:「津田大介」というフィルターを通した情報は、この点で信頼できる みたいな感じ
最終的にはマスメディアではなく、ユーザー自身に情報を取捨選択する役割が求められるし、それが情報リテラシーなのかと
こういうのってどこでどう身につけていくのかね
完璧に正しい取捨選択があるとは思わないけど(個人によって必要な情報は違うし)、でもある程度の基準はあると思う
デマを見抜ける人と、踊らされる人の違いは大きい
思考停止している人は、安易に情報操作に引っかかるように思える
それが人類にとっていいことなのか悪いことなのかわからんけどね
情報操作・情報規制することで、社会がより良く回るなら、それは一つの形かもなとも思う
中国とか北朝鮮とか社会主義国家では、実際に情報規制されてるわけだし
ただ、おれの価値観では、そういう社会は認めたくない
まあそういう奴は社会主義じゃない国で暮らせばいいだけ
こういう生き方を選ぶ人もいるし
価値観を押し付けるのはよくない

ネットメディアの登場で、マスメディアなしで、何者かの意思が介在することなく、
情報が出回るようになるかもしれない
そうすると今までの社会が大きく変わるかもしれない
それがいいことかはわからないけど、変わるものはしょうがない
今更人類が電気なしの生活に戻れないのと同じ類のものかと

社会は、
?農業革命
?産業革命
?情報革命
によって古い社会から新しい社会に置き換わってきたと言う、アルビントフラーの「第3の波」という著書がある
どういう意味で情報革命という言葉を使っていたかよく知らないし理解できないけど、少なくともマスメディアという点に置いては社会を変えうる可能性はあると思った
ってかwikipedea調べたら、中々面白そうな人ね
本ちゃんと読んでみようかしら


不老不死
ベニクラゲというクラゲがいる
不老不死のクラゲらしいというので、ちょっと面白い
厳密には、不老不死ではなく、若返ることができるということみたい
それに捕食されたら普通に死ぬ
ただ、論理的には無限に生きられるとのこと

遺伝子解析して、人間に応用できるのかという記事を読んだ
もしできたとしても、肉体の細胞と脳細胞では話が違うのでなんたらみたいな内容だったような
確かに、若返っても、記憶を失ったり、人格が変わるなら意味ないしね
それより、人間の脳をコンピュータ上に移植する方が、よっぽど現実的な不老不死に思える
脳をコンピュータに置きかえて、肉体というデバイスを操作するみたいな感じ
ってもう攻殻機動隊とかのSFの世界だな

不死は無理だろうけど、不老はいつか実現できるかもね
おれらがおじいちゃんになってるころには、サイボーグ技術とか進んで、
身体が悪くなっても置換できるから、脳死するまでは生きれるかも

難しいこと考えると疲れるね
何かしら得るものはあるし充実するけど
ではでは