人生のKPI
ブログ書くの1年ぶりか
どうも副会長です
前に投稿したのがこれで、その2を書こうと思っててめんどくてそのままだった
nkk.hatenablog.com
その2はこのまま放置しようと思う
軽く近況報告しておくと、引き続きお仕事それなりに頑張りつつ、趣味いろいろやっておりますという感じ
趣味の一つがアプリ開発
2015年からiOSの開発をやり始め、個人でもアプリリリースしたいなと細くずっと思ってたけど今まで特にネタが無かった
6月にこれだ!というネタを思いついて寝る間も惜しくないくらいめっちゃ高いテンションでアプリを作ったんだけど、それはまだリリースできておらず
公開できるかなというくらいにはなってapple様に申請したんだけど恐怖のリジェクトに捕まってしまい、未だリリース叶わず
これはちまちま機能いじりつつ気長に申請通る日を待とうと思う
今日はiOS13のダークモード対応をしたりしていた
あとはなろう小説をいろいろ読んで、自分でも書きたいなと思い始め春頃ちょっと書いてた
途中まで書いたんだけどプロットから練り直そうという脳内会議の結果、また0からプロットを練っている
これはいつまでも完成しないアンチパターン臭がぷんぷんするけどまあ趣味だしいいかという感じ
猫を飼い始めて以来ギターを押入れの奥に封印しているんだけど、久しぶりに曲作ったりしたいなぁとも思っている
これも思っているだけで実際には作らないような気がする
さっき煙草吸いながらこんなことをぼんやり考えていて、なんか意外とクリエイティブなんだな自分とちょっと感心していた
で、煙草吸っている時に思ったのが「幸せって何だろう」ということだった
こういうことをふと考えたりすることがあり、その波が今日来たという感じ
ぼんやりと社会性とか承認欲求とかが幸せの要素なのでは無いかなと思った
仮に未開惑星で一人で生きていくとして、そこに幸せはあるのだろうかと思考実験してみる
ちょっと想像してみたんだけど、難しい気がする
マズローの5段階欲求的な文脈で言えば、現状生命の安全が担保されていないような人 (戦場で暮らしている人とか、周囲から暴力を受けて生きている人とかのイメージ) なら、現状よりはマシになる可能性はある
けど自分はそういう状態ではないので、このレベルは省略する
どうも、世界に自分ひとりしかいないという状態では幸せは想像し辛い
(仮に0歳から一人で野生っぽい感じで生きていたら、そもそも幸せとかの概念もなさそう)
ということは、幸福のためには何かしら自分以外の人間が必要なのでは無いだろうかという仮説になる
(猫の遊んでくれ攻撃が激しかったので今ちょっと遊んであげたんだけど、人間が居なくてもペットがいれば幸せになれる可能性はあるかもなとちょっと思った)
では自分以外の人間とどんな風な関わり方ができれば幸せなんだろうか
未開惑星で一人で生きているんだけど、インターネットが繋がっているという設定で考えてみる
一旦シンプルな思考実験とするため、ラジオみたいに受信しかできないものとする
ブログを読んだりTwitterを眺めたりYoutubeで動画を観ることはできる
けど書き込みは一切できない
これは人によってはアリかも知れない
そこにコミュニケーションはなくとも、コンテンツを消費して楽しく生きていくことはできそうな気がする
見知らぬ誰かのTwitterアカウントに自分を重ねてコミュニケーションを疑似体験できるかもしれないし、アニメのキャラに感情移入して疑似恋愛ができるかもしれない
ハンターハンターが連載再開した日は惑星の祝日にしても良い
これでもし幸福が成り立つなら、幸福の要素の一つは文化とかコンテンツということになるのだろうか
コミュニケーションなしでも幸福が成り立つ可能性はあるのか、ふむ
まあでも文化とかコンテンツが存在するためには自分以外の人間が必要にはなる
インターネットで相互にコミュニケーションができるようになったとして、それはもはやリアルのコミュニケーションと原理的にはあまり差が無いように思うし、このパターンは幸福は余裕で成り立つと思う
話を地球に戻す
幸福では無い人ってどんな人だろうか
一番イメージしやすいのは自死を選ぶ人だろうか
んーでも自死する理由はパターンが千差万別ありそうだし、病の一種である場合もあるからあんまり検討しても参考にならないかも
wikipediaで幸福を読み始めたら結構興味深い感じだった
いろんな考え方というかパターンがあるなぁという印象
ちょっと煮詰まってきたので一旦考えるのをやめよう...
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就活してた頃にいろいろ考えてて、その究極の問が「そもそも何のために生きるのだろう」だった
当時の結論は「幸せになるため」で、今でもまあこれだよなぁと思っている
(wikipediaで知ったけど幸福主義と呼ぶらしい)
そうすると人生のKPIは幸福度で、それを高めるために行動すべきなのかなぁと煙草吸いながらぼんやり考えていた
幸せを目指すのは納得感があったものの、じゃあそもそも幸せって何なのか、という点については当時は結論は出なかったし10年経ってもまだぼんやり考えている
人によって違うだろうから絶対的な答えはあんまり探していなくて、自分の中の幸福を探している
もし見つかったとしても、自分の中の答えも歳を取るごとに変わっていくものだと思う
それでも少しづつでも輪郭をはっきりできたらいいなぁとは思う
でもこんな訳のわからないものを追い求めていて良いのかと今日ちょっと考えた
全然ちゃんと測れないし、どうやったら幸福度が上がるのか下がるのかもよくわからない
もっと別の指標の方がふさわしいのかなと思って、久しぶりに記事を書いた次第でした
またそのうち
ではでは